2002年06月01日(土)

「私は見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」(ハバクク2:1)

モーセが神の山ホレブにやって
来た時、柴の中に炎を見た。よ
く見ると、火で燃えているのに、
柴は燃えつかなかった。彼は
不思議に思い、この炎をしっか
り見定めようと近づいた。モー
セがその光景をじっと見てい
ると「あなたはやっとわたしに
注意を向けたか」と言われた
かのようだった。神は「モーセ
モーセ」と語りかけられた。
神は同様に、私達にも語り
かけておられる。ところが、あ
なたの注意はどこに向いて
いるか。この世の事で一杯か。
注意散漫で神のことに集中し
ていないか。神は色々な燃え
る柴で語られる。礼拝メッセ
ージかも知れないし、友人の
忠告や助言かも知れない、
聖書学び会の中かも知れ
ない。気に留めないで聞き
逃したか。あなたの注意を
引こうと待っておられる。
もっとよく見ようと近寄る時、
主の御声が聞こえる。あな
たは神に近づく必要がある
のではないか。