2018年04月01日(日)

「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あ なたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています」ピレモ ン11


ローマの獄中から、パウロが、信仰者ピレモンに宛てた書簡だ。ピ
レモンの奴隷であったオネシモが、主人のもとでお金を盗み、ロー
マにまで逃亡した。そこで捕らえられて獄につながれた。その時に
パウロに出会い、回心した。

新しく生まれ変わったオネシモは、獄中でパウロに仕えていた。パ
ウロは「獄中で生んだ我が子」と言っている。彼の回心は本物であ
ったようだ。奴隷は主人のものなので、パウロは彼を正しくピレモ
ンのもとへ、帰らせようとしていた。逃亡奴隷は、本来なら死刑だ。
だが、彼は、今や、以前のオネシモではなく、変えられて「役に立
つ者」になっていると。

パウロはへりくだって、ピレモンにオネシモを赦して受け入れてく
れるよう頼んでいる。弁償はすべて自分がするからと。彼は自分の
罪ゆえに逃亡したのだが、神の視点に立つと全く違う見方になる。
役に立つ者として、彼を取り戻すために、しばし離されたのだと。

すべての出来事の背後に、神の摂理を信仰によって見る時に、人生
の見方が一変する。そこに神の愛があり、赦しがある。そして神の
働きがある。私たちも、すべての出来事に、その背後に神の摂理が
あることを認める時、全く違う見方になる。そこにはどんな時にも
平安と希望があり、救いがある。

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創世記のヨセフも、兄たちの妬みと憎しみにより、隊商に売り飛ば
され異国の地へ。苦しみ悲しみ辛苦を通ったが、「兄たちでなく、
神が」そうされたと言った。一族を救うためだと。主語を「神」に
する時に、摂理のみわざが見えて来る。そこに救いがある。