2018年07月02日(月)

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」Tテモテ6:6



ある男性が、目の病で手術をした。ほんのかすかな視力が残ったが、
仕事は不可能となった。運転も出来なくなった。バリバリと仕事を
こなし、トップクラスの成績を上げていた有能な社員だった。前途
を断たれ、真っ暗になっても不思議は無かった。幾らでも悲観的に
なり落ち込むことができた。

しかし彼はそうしなかった。主にすがり、祈りに祈って、否定的思
いを拒否し、自分に与えられた目の前の状況を受け止めた。切なる
祈りにより、平安が与えられていた。「主は与え、主は取られる」。
今まで与えられていたものはすべて、主からであり、それを取られ
るのも、主によるのであり、自分はこれからもずっと、主を礼拝し
て生きて行きたいと。心安らだった。

この事が、更に主との深い関係に入れられる、恵みとして受け止め
た。「なぜ、どうして」と神を恨み、反抗する事もできたが、そう
しなかった。彼の選択だった。周囲に素晴らしい主の栄光を現して
行った。ある高齢の男性も、徐々に衰え、人の助け無くては生活出
来なくなった。それを主からのものと受け止めた。

以前の自分なら、助けを受ける事は苦痛でしかなかった。生活の様
々なサポートの手を、主からのものと感謝して受けた。今まで無か
った「受ける」ことを学ばせられた。それにより、心に何にも替え
られない平安が満ちた。どんな状況でも「満足」を下さる。
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常にどんな時にも満ち足りるという心の状態は自分の内にはなく、
ただ主との交わりの中で与えられている。苦しみや悲しみ、不満の
度に生きておられる主に祈ろう。主が思いを引き上げてくださる。