2018年10月01日(月)

「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」ルカ5:5


信仰生活、いつも神の御言葉に立つよう教えられる。しかし、目に
見えるところと神の御言葉が相容れない時、現実とズレがある時、
どうしているだろう。ある人が二つの「でも」があると言った。
厳しい困難が生じた時、「神は益とされる」「神は最善をされる」

「神はご計画をお持ちだ」「神は愛して下さっている」、「でも」、
こんな状況で、この悲惨な真っ暗な現実で、どこが愛なのか。神が
愛なら、なぜこうなっているのか。どこが最善なのか。最善などで
なく、最悪ではないか。何で信じられよう。その「でも」だ。


もう一つは、目に見えるところ真っ暗闇で、先も真っ暗で、全く何
も見えないが、「でも」神を信じ、神の愛を信じ、神の言葉を信じ
ようの「でも」だ。どちらに立つかで、天と地ほどの差となる。信
仰の「でも」を選び取り、全く何も見えなくとも、御言葉に立つ時、
必ず御霊の実を結んで行く。

不信仰の「でも」を選ぶなら、愚痴と不平不満、失望落胆、怒り、
落ち込みの肉の実を刈り取って行く。ある人が、家族が次々と病や
けがに倒れ、身動き取れない困難のまっただ中で、信仰の「でも」
を選び取り、神は最善以下をされない事を堅く信じ、信仰により、
神に感謝を献げた。

すると、その信仰は本人だけでなく、周囲をも引き上げて行った。
周囲の人々がその態度に、神を見せられ、周囲に大きな恵みと励ま
しをもたらした。そして、目の前の状況が一つ一つと導かれて行く
のを。皆で見せられた。
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でも無理だろうと御言葉を信じようとせず目の前だけを見て行動
するなら、逆にいつまでも魂は揺らぎ平安がない。御言葉を土台に
信仰のでもを選び取っていこう。主の平安がある。