2018年12月02日(日)

「バビロンに70年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み・・あな たがたをこの所に帰らせる」エレミヤ29:10

エレミヤの時代、イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされ捕虜とし
て連行された。だが、そのアッシリヤは、バビロンによって滅ぼさ
れた。ユダ王国もバビロンによって、どんどん侵攻され、とうとう
ユダもバビロンに捕囚の身となった。捕らわれて行った。当時のユ
ダは神から離れ、民は堕落し、偶像礼拝の罪に陥っていた。それな
のに預言者たちは、耳ざわりの良い、心地良い言葉だけを語ってい
た。平安が無いのに「平安、平安」だと。

しかし、神の人であるエレミヤは真っ直ぐに真実を語った。そのた
めに苦しめられた。バビロン捕囚のさ中、真っ暗な、一見絶望的な
中で、エレミヤは神の言葉を告げた。それは「災い」としか見えな
いが、「平安・将来・希望」のためのものと。将来があり、希望が
あると。すぐに解放にはならないので、その地で落ち着いて、腰を
据えて生活するようにと。そして、敵であるその町の繁栄を祈れ、
それは自分達の繁栄になるからと。

私たちも苦悩の時、一番欲しい言葉は「即、答え、問題解決」「即、
悩みから解放」だ。しかし口先だけの励ましは、更に傷が深くなる。
そうでなく、かせのような、辛い現状を受け入れる時、その中で神
からの支え、励ましにより前進して行ける。現実を受け入れられる
よう祈ろう。
いつまでもそのままではなく、「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰
らせる」。現状を受け入れ、神に従って行こう。そこに「平安」が
約束されている。そして「神の時」に、解放して下さる。

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「バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたし
はその土地にいこわせる」とあり、与えられた辛い状況を、受け入
れる時に、状況はそのままだが、心に平安が、与えられる。状況に
あらがうので、苦しいばかりになる。受け入れられるよう祈ろう。