2019年03月02日(土)

「彼女はまたみごもって、男の子を産み、「今度は主をほめたたえ よう」と言った」創世記29:35


レアは、ずっと妹ラケルと比較、嫉妬に生きてきただろう。ヤコブ
との結婚によって、ますます劣等感が強くなって行った。ヤコブの
愛をどれだけ切望してもあがいても得られない。ヤコブの愛はラケ
ルにある。そんなレアを主は憐れまれた。それでレアの胎を開かれ
た。「ルベン」と名づけ、主が悩みをご覧になったと言った。

ルベン誕生により、夫の心が自分に向き、愛してくれるだろうと思
った。しかし、決してそうはならなかった。第二子のシメオン出産
は「主は私が嫌われいるのを聞かれて」とレアが神に祈った結果だ
った。そして次々と産み、最後はユダ「主をほめたたえよう」と名
づけた。長い時間と共に、目の前の苦しみでなく、主を見上げるよ
うにレアは変えられて行った。

これまで自分の容姿等をラケルと比較して、劣等感にさいなまれ、
また夫がラケルを愛し、自分には気持ちが無いことで悩み苦しみ抜
いた。しかし主を見上げた時、変えられた。レアの女奴隷が男児を
産んだ時は、アシュルと名づけ、レアは「なんと幸せなこと。女た
ちは、私を幸せ者と呼ぶでしょう」と言った。

私たちは何を学べるだろう。レアはずっと劣等感で生きて来て、又、
夫は妹ラケルを愛していて、夫の愛をどんなにあがいても得られな
い境遇にいた。満たされない、辛い、寂しい状況だ。そんな中で、
レアは神に向き、神の愛と憐れみに目を向けて行った。神は、レア
の不幸な境遇により、ご自身に近づけられた。私たちも、悩み、問
題を通して神の愛を知って行ける。

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レアは孤独で寂しく満たされない境遇にいた。しかし、その思いや
気持ち、状況を主のもとへ持って行った時に、解決を得た。人でな
く、境遇でなく、主ご自身で心が満たされた。方向が違うと決して
心は満たされない。主に向かおう。