2019年05月02日(木)

「さあ、私たちに先だって行く神を造ってください・・モーセという者が、どうなったのかわたしたちにはわからないから」出エジプト32:1




モーセが主との会見でシナイ山に上っている間、モーセは不在、神
がわらなくなってしまった民は、アロンに偶像の神を造るように頼
んだ。彼らは周囲の人々と同じように、目に見える偶像の神を求め
た。人は目に見えない神よりも、肉眼で見える、形のある神を求め
る。それは木や石や金で造ったいわゆる偶像の神だけではなく、お
金、仕事、趣味、人であったりする。

名誉や地位、人からの賞賛が偶像にもなる。目に見えない神を信頼
できないので、確かな手応えのある、目に見えて信頼出来るものを
求める。アロンはモーセを助けるためにそこに置かれたのであって、
モーセ不在中での出来事に際し、主からの力を受け、民を導き、治
めるべきであった。それが民の言いなりになってしまった。

アロンは鋳物の子牛の像を造り、彼らは「これがあなたをエジプト
の地から連れ上ったあなたの神だ」と言い、礼拝した。主はモーセ
に「すぐ降りて行け。民が堕落してしまったから」と。神の栄光を
現すべき聖なる民が、神でないものを崇め、礼拝する、神を辱めて
しまう。クリスチャンなら、目に見える彫像を拝みはしないが、心
の奥で、神よりも大切にしているものはどうだろう。

神よりも愛し、神よりも信頼しているもの、それが偶像だ。「この
むさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです」と、偶像礼拝は、心の欲
望、貪欲にあると。又、心の奥の空洞を埋めたくて、偶像に走る。
真に心を満たす事ができるのは、主だけだ。主ご自身で、心満ち足
らわせられるよう、求めて行こう。
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偶像を造らせ、拝ませる者の正体はサタンだ。もし神以外のものに
依存しているなら、それを失った時に自分自身が失われる。生きる
力、希望、喜びを豊に与え続けてくださる御神から迷い出ないでい
よう。