2019年07月02日(火)

「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかな った助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありま せんか」ヘブル4:16



主を信じて以来、私たちは古い性質と新しい性質が、絶えずあらが
っている。霊と肉の戦いの中にある。再臨の時に私達のからだは変
えられる。それまで私たちに、肉の弱さがある事を主はご存じだ。
肉体は往々にして、疲れ果てるし病気にもなる。主は肉体をとって
地上に来られたので、この事をわかって下さっている。主は、あな
たの弱さをご存じだ。良き理解者だ。

そして主のゆえに、いつでも恵みの御座に行ける。私達は力と勢い
に満ちている時は、主のためにどんどん働き、主に近いと感じる。
逆に弱さを覚え無力の時は、どうだろう。主を遠く感じるだろうか。
「役に立たない者はだめだ」サタンの声が聞こえる。罪を犯してし
まうと「同じ失敗ばかり、成長がない。自分はだめだ」その声に乗
ると、落ち込み、ますます主から離れる。

御言葉はどう言うだろう。「あわれみを受け、恵みをいただいて、
大胆に恵みの御座に近づこう」恵みの御坐に近づける根拠は「あわ
れみを受け」「恵みをいただいて」とあり、「あわれみ」と「恵
み」だ。自分の功績にはいっさいよらない。自分サイドの何かによ
らない。主からの一方的な愛顧だ。

主のあわれみと恵みがあるので、どんなに破れ果てた状態でも、御
前に行ける。綺麗になって行くのでなく、あるがままだ。どんな状
態でも恵みの御座に行こう。折りにかなった助けが与えられる。

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失敗し、再度チャンスを与えてもらい、又、失敗する。この世では
だめだろうが、主のもとには、そのどん底に尚もあわれみがある。
全く資格の無い者に与えられるのがあわれみだ。主の尽きる事のな
いあわれみを覚えよう。それは朝ごとに新しい。