2019年09月01日(日)

「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない」創世 記19:17


主がソドムとゴモラを滅ぼされる時に、御使いを遣わし、ロトと家
族を救い出そうとされた。アブラハムの執り成しの祈りがあったか
らだ。一刻も早く逃げるようにと。しかしロトの娘婿は、滅びるな
どと冗談だと思い、ロトの言葉を信じなかった。もう猶予が無いの
で、妻と二人の娘、家族4人で逃げるようにと。「命がけで逃げよ。
うしろを振り返ってはいけない」と。

その時、逃げる途中で、町に天から硫黄の火が降り、一瞬に滅ぼさ
れてしまった。「振り返るな」と言われていたのに、ロトの妻は振
り返った。残して来た、家、財産、宝、地位・・この世のものに未練
があり、後ろ髪を引かれてしまい、その彼女は塩の柱になってしま
った。後ろのものに固執する時、前進ができない。

後ろのものを思う時に、心がそこに、後ろに停止したままになる。
前に進む事を妨げられてしまう。後ろのものに心が囚われているだ
ろうか。世のものに固執し、握りしめ、未練がいっぱいで、信仰の
前進が妨げられているだろうか。
又、過去の失敗、過失はどうだろう。主はすでに完全に赦して下さ
っているのに、受け取らないで、ぐずぐずくよくよいつまでも引き
ずり、振り返っては落ち込むだろうか。

又、赦せない思い、傷、いつまでも固執して、前に進まないだろう
か。「古いものは過ぎ去った。すべてが新しくなった」「先の事ど
もを思い出すな」「見よ。わたしは新しい事をする」とある。振り
返っている事に気づくなら、「振り返るな」に従おう。

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手を鋤につけてから、後ろを見る者は神の国にふさわしくないと、
あるが、執着するものがあるだろうか。主に近づく事を妨げられて
しまう。一つ〃御霊の気づきが与えられるように。捨てて、献げて
行けるよう祈ろう。その時、主を親しく知って行ける。