2020年03月02日(月)

「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて・・家を建てた人・・洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも・・びくともしませんでした」ルカ6:48



賢い人と愚かな人がどちらも家を建てた。賢い人は岩の上に、愚か
な人は砂の上に。家の外観は全く同じだが土台が違った。岩の上に
建てるには、地面を深く掘り、岩を掘削して大変な労働だ。一方、
砂の上に建てるのは、楽で、手っ取り早い。何も無い時は、外側同
じに見える。だが大嵐が来て、雨風で、洪水になった時、違いが明
らかになった。

岩の上の家はびくともせず、砂上の家は倒壊してしまった。その壊
れ方は酷かったと。砂上とは自分の思い、考え、感情、世の価値観
で歩む人生だ。又、土台は富や名誉や地位かも知れない。自分の思
いで進む人生は、何も無い時は、うまく行っているように見えるが、
試練の時に立ち行かずに、崩壊してしまう。まさに砂のようだ。

しかし自分の思いや感情、自分の力でなく、主に聞いて、御言葉土
台に、主に頼って従う歩みは、どのような苦しみ、試練が来ようと
も、絶対に倒れない。信仰人生では、時に、突如の、想定外の出来
事に出くわすものだ。「どうしてこんな事が」「なぜ自分に」・・
しかし何があってもびくともしないと。必ず試練を乗り越えて行け
る。

まず御言葉を聞く事が大切だ。しかし二つの家はどちらも御言葉は
聞いていた。「実行する」「従う」で両者は分かれた。聞いただけ
では忘れてしまう。御言葉を反すうし、考え、御言葉を「見つめて
離れない」時に、実行して行ける。
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試練の時、同じように恐れはあっても主を知っている者はまず祈り、
御言葉に指針を求める事ができる。本当に感謝だ。どんなに倒れそ
うな家に見えても土台は主だ。しっかりと立っていよう。