2020年06月01日(月) 「イエスは・・道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい。』と言われた」マタイ9:9
「イエスは・・道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい。』と言われた」マタイ9:9
マタイは取税人であった。当時、ローマに代わり税金徴収をしてい たのが、ユダヤ人の取税人だった。つまり同胞から不当に取り立て、 私腹を肥やしていた。ローマの手先、裏切り者と嫌われ、蔑視され ていた。罪を犯していて、平安無く、自己嫌悪にも陥っていただろ う。財は築いたが、喜び無く、幸せではなかった。 そういう状況もわかっていたが、それでも富を求めて取税人になっ たのだろうか。人から後ろ指を指され、拒絶され、心に闇を抱え、 寂しさと虚しさ、孤独の中にいたろう。生きる意味も見い出せなか っただろうか。そんな時に、主は、心の内の何もかもをご存じで、 マタイをご覧になって、「わたしについて来なさい」と声をかけら れた。 彼は立ち上がって、従った。主がそんなマタイを選ばれていた。彼 は主の招きに、即座に応じている。迷いが無い。重大な決意だが、 聖い方が自分のような者を招かれた事にどんなに驚き、嬉しかった 事だろう。その彼は生涯、主に従い通して、マタイの福音書を記す 栄誉にあずかった。彼は自分の事を「取税人マタイ」と言い、はっ きりと「取税人」だと言っている。 どんな所から救われたかを隠さず明言した。闇から光に入れられた、 その驚くべき恵みを、主の愛の深さを味わい知った。私たちも主が 「ご覧になって」呼んで下さったから、今がある。どんな所から救 われたのか、救われていなかったなら、どうなっていたのか、今一 度、感謝を献げたい。 ------------ ただ主について来ただけで何と幸いな日々が与えられたのだろう。 試練の中も主に助けを求め、励まされて歩める。主の声を聴くため に主はそれぞれを闇の中に一人で置かれた。日々感謝して歩もう。