2020年08月02日(日) 「枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことが できません・・あなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を 結ぶことはできません」ヨハネ15:3
「枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことが できません・・あなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を 結ぶことはできません」ヨハネ15:3
心に安らぎ、平安があるだろうか。いつも山積みの仕事に、なすべ き事に追い立てられ、イライラしているだろうか。しかしながら何 かをしていないと不安で、何かを為す事で、心の充足を得ようして いないか。何かをする事で安心感を、満足感を得ようとするなら、 それは忙しいのではなく、自分で忙しくしている事になる。 止む事ない仕事や奉仕を自分で取り込み、取り憑かれたようにのめ り込む。だが、何かをする事で満たされるのではない。主は仕事や 奉仕で充足感を与えて下さるが、それはあくまでも結果であって、 満たされるために行うのではない。私たちに満足が与えられるのは、 何かをする事によってでなく、主にとどまる事によってだ。 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝」「わたしにとどまりな さい。わたしも、あなたがたの中にとどまります」とどまるなら多 くの実を結ぶと。そして、「わたしを離れては、あなたがたは何も することができない」。何もする事ができないと。主を離れて、肉 であれやこれやと動き回っても、御霊の実が結べない。 今、焦りやいら立ち、疲れがあるだろうか。重荷を負って、心が重 いだろうか。自分の力で頑張っていないか、行ないで満たされよう、 認められようとしていないか、立ち止まろう。まずは主と交わり、 主の憩いに帰ろう。そして主の平安の中で、多くの実を結んで行け る。 ・・・・・・・・・・・ 主にとどまっている時は、何と平安だろう。自分の力に頼り、主か ら出てしまう時は、平安無く、思い煩いや不満愚痴が出て来る。主 にとどまって、主と共に労する時、焦りや重圧感は無い。主を信頼 しているからだ。離れていると気づかされられる度に、帰ろう。