2020年11月01日(日) 「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわってい る人々に分けてやられた」ヨハネ6:11
「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわってい る人々に分けてやられた」ヨハネ6:11
人は、自然にしていると、どうしても悲観的な見方に傾くと言われ ている。私たちも主から目が離れると、有るものではなく、無いも のばかりに目が向いてしまう。不足分を数える。あれも、これも無 い。能力が不足、時間が無い、財力も無いと、心沈み、落ち込んで しまう。 アンデレは、パンと五つと小さい魚を二匹持っている少年を、主の もとへ連れて来た。しかし、こんなに大勢に、この僅かなものが何 になろうと。だめだろうなと。だが、主のもとへ差し出した。 主は手にあるものを用いられる。それがどんなに僅かでも問題無い。 自殺未遂となった田原米子さんは、片腕と両足を失い、3本の指だ けが残った。絶望し、次は確実に死ぬ事だけを考え、睡眠薬をため 込んだ。そんな中、宣教師の導きで、主を信じた時に、突然「指が 3本もある!」との思考になった。「無い」から「有る」へ180度 発想転換が起きた。そして生涯を主に献げて行かれた。 星野富弘さんも、首から下が動かない身体になった時に、絶望した。 真っ暗闇で、苦しみ、煩悶を母親にぶつけていたと。そして主に出 会った時に「首から下が動かない」から「首から上が動く」に変わ った。主にお献げして行った時に、世界中の人々の慰めと励まし、 心の癒しのために、素晴らしく用いられて行った。 私たちはどうだろう。無いもの、不足分ばかりに、目が行ってない だろうか。そうでなく、与えられているものに目を向けよう。それ を主にお献げする時に、主は聖めて、主の栄光のために用いて下さ る。手の中にあるものを、まず主のもとへ持って行こう。主は受け 取って下さり、祝福し、周囲のために豊かに用いて下さる。 ・・・・・・・・・・・・ 手の中にあるどんな僅かなものでも、主のもとへ持って行こう。持 って行くことが大切だ。自分の手にあるか、主の御手にあるかで、 天と地ほどに違って来てしまう。こんな僅かなものと思ってしまう が、主のもとへ携えよう。主は素晴らしく祝福して下さる。