2021年03月02日(火)

「私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう」イザヤ37;20



ヒゼキヤ王の時に、アッシリヤのセナケリブがユダの町々を攻め取
った。彼はラブシャケを送り、ヒゼキヤや人々を脅し、自軍の強力
な軍隊を誇示した。そしてヒゼキヤは、主が救い出すというが、そ
んな言葉に騙されるな、信じるなと、揺さぶりをかけた。この危機
に際し、ヒゼキヤはどうしたのか。彼は衣を裂き、荒布をまとい主
の宮へ行き「祈った」のだ。

そしてイザヤにも祈りを要請した。私達に挑む、悪魔も同様で絶え
ず揺さぶって来る。経済的苦境、難しい対人関係、仕事の悩み、信
仰ゆえの戦い・・様々な問題に、自身の無力を見せつけて来る。祈
っても無駄だ、神を信じて何になる、何も変わらない・・。信仰に
立たせないように、諦めるように、失望するように、攻撃をしかけ
る。又、妥協して生きるように誘惑する。

サタンに従うなら、楽に生きられ、世の成功を手にできると。サタ
ンの攻撃だ。こんな時には「祈り」が対抗手段だ。ヒゼキヤもイザ
ヤも祈った。その時、主は奇跡を行なわれた。「彼はもと来た道か
ら引き返し、この町には入らない」「わたしはこの町を守って、こ
れを救う」と。そして、使いが出て行き、185,000人を討ち取った。

その結果、セナケリブは立ち去った。祈りが聞かれた。信仰に揺さ
ぶりをかけて来るサタン、今も耳元にささやいているだろうか。
「信じても無駄、祈っても無駄、何も変わらない、解決などない・
・」サタンの攻撃だ。対抗は「祈り」秘訣は「祈り」だ。「わたし
は聞いた」主は聞いていて下さる。
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サタンは、祈っても何も変わらない、それより行動を起こすべきだ
と思いを差し込んでくる。サタンに祈りを取られていると気づこう。
目を覚まし、御霊の助けを受けて、ことごとく祈ろう。