2022年04月01日(金) 「そしてイエスは・・五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、 それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、 弟子たちは群衆に配った」マタイ14:19
「そしてイエスは・・五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、 それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、 弟子たちは群衆に配った」マタイ14:19
主の言葉を聞きに群衆が集まっていた。弟子たちは主に、解散さ せ、 各自食物を買いに行くようにさせて欲しいと言った。すると主は、 弟子たちに、「あなたがたで、彼らに食べ物を上げるように」と答 えられた。弟子たちは、ここにはパンが五つと魚が二匹しか無いと 答えたが、主は「それを、ここに持って来なさい」と言われた。 結果的に、主は、その小さな物を用いて、奇跡をされ、群衆は全員 が十分に食し、満腹した。主は、私たちの持てる物、手にある物 を、 主のもとへ携えるようにと。私たちの手にあるものは、5つのパン と2匹の魚の極めて小さなものかも知れない。だが、どんなに無き に等しいようなものでも、主の御手に渡る時に、神の栄光を現わす ものへと用いられる。 こんな小さなものが、何になろうと思ってしまう。しかし、主が役 に立つものとして下さる。又、主は、食物をご自身で配られたので はなく、弟子たちの手に渡された。弟子たちがそれらを群衆に配っ た。主がみわざをされたが、実際に配ったのは弟子たちだ。主は弟 子たちにその働きを任せられた。 人々に糧を届けるために、私たちをも用いて下さる。自らの知恵、 資源、力でなく、人々に与えるものを、主が与えて下さるというこ とだ。主から渡されたものを、人々に渡して行く。自分からのもの ではない。人々の祝福のために、用いられるとは、どんなに嬉しい 感謝な事だろう。 ------------- この僅かなものは、主に用いられるために、この手に与えられたも のかも知れない。役に立たないと思わず、信仰を持って主に渡して みよう。喜びと共に主の栄光を拝そう。