2022年11月01日(火)

「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやり連れ て行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた」 ヨハネ6:15



主は、五つのパンと2匹の魚で、男だけで5千人、女、子どもを入
れると大変な数の人々を満腹させられた。群衆は驚き、喝采し、主
を王にかつぎ上げようとした。だが主はひとり、山に退かれ、そし
て「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからでは
なく、パンを食べて満腹したから」だと言われた。群衆が自分を追
いかけるのは、パンをもらえるからだと。

主の奇跡に際し、そこに霊的な恵みを見て、この方こそ主キリスト
だと信じたからでなく、この方について行けばパンに不足する事は
ない。自分の願望を満たすためにつき従っていると。満腹とは、自
分の欲望が満たされる事であり、自己実現だ。肉の喜び、肉の満足
であって、そこに主ご自身や、恵みを見る事はない。主は求めよと
言われ、祈りに答えて下さる。

だが気をつけなければ、私たちの祈りは、自分の欲望充足だけに向
かい、自らの欲望を満たす手段となる。それなら願望が叶えられな
いなら、主のもとを離れる事になる。つき従う意味が無いからだ。
パンに満腹した群衆はそうだった。主は、そんな私たちをあわれ
み、正しく導くために、時に思い通りでない答えを与えられる。

それにより、自分自身を吟味させ、動機を探らせ、省みさせて下さ
る。「ノー」の答えがあり、すぐに叶えられない祈りがある。その
中で心探らせ、御心に適った者へと変え、成長させて下さる。思い
通りにならない状況は、実は大きな恵みだ。霊的成長へと導かれ
る。
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ノーも大切な主からの答えと受け取りたい。思い通りにならない事
で頑なな自分が少しずつ変えられていく。すぐに消えてしまわない
永遠のいのちを養うための大きな恵みの時だ。