2023年12月01日(金) 「かつて、神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろ うか。ところが、わたしの民は、その栄光を無益なものに取り替え た。」エレミヤ2:11
「かつて、神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろ うか。ところが、わたしの民は、その栄光を無益なものに取り替え た。」エレミヤ2:11
私たちは心を満たそうと、様々なものを追い求める。ある人は富 を、ある人は、やりがいのある仕事や趣味、又、別の人は名誉や地 位、人からの賞賛を求める。人により様々違うが、それらはすべて 「こわれた水ため」だと言っている。「多くの、こわれた水ため を、自分たちのために掘った」のだと。 どんなに水をためようとしても、壊れているので、水がもれ出てし まう。水をためる事ができず、つまり決して心を満たす事が出来な い。何が問題なのだろう。それは「湧き水の泉であるわたしを捨て て」とあり、主を捨てた事による。泉は、水が湧いて出る。どんど ん幾らでも湧き出て、決して無くならず、尽きる事がない。主こそ が湧き水だ。 その湧き水である主を捨てるなら、何を持ってしても満たされる事 がない。あなたの心はどうだろう。主以外のものに、拠り所を置い ていないだろうか。有形でも無形でも、もし主以上に大切なものが あるなら、それは「偶像」だ。「あなたの力とするもの」「栄えに 満ちた喜び」「愛するもの」「心に慕うもの」・・それらは、主との 関係を妨げ、離してしまう。 非常に魅力的で心奪われるもの、喜ばしい、慕わしいもの、しかし 実は、それは「壊れた水ため」なのだと。大きな魅力があり、心惹 かれるが、そっちへ行っても決して心を満たされる事はない。湧き 水である主のもとに、真の喜びが尽きる事なくあり、平安に満たさ れる。今、何か心が虚しければ、主以外のものを求めていないだろ うか。御霊に心を探って頂こう。 ------------ 主以外の何かを頼みとしても、いつかそれは無くなり枯れる。主を 頼みとして歩もう。いつも主が共におられ、たとえ一人でも孤独で はない。日々に豊かな水によって養われていく。