2024年03月02日(土)

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせて ください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこ ころのようになさってください」マタイ26:39


主が、御父に祈られた祈りを通して、私たちも学ばされる。主は、
率直な祈りをされた。御心なら、この杯=十字架を去らせて欲し
いと。最初から「わたしの願いではなく、みこころのとおりに」と
優等生の祈りをされたのではなく、この十字架を回避させて欲しい
と願われた。

人々の救いに関しても、十字架でなく、主の何か別のみ思い、方法
があったのかも知れない。主が、去らせて欲しいと祈られた事実は
厳粛だ。そう祈ってよいのであり、祈りは正直で、率直で、真実で
あり、本音である事が大切と教えられる。建前の祈りを幾ら祈って
も通じていない。

自分の本音を打ち明け、交わることが大切だ。ある人が、切実な願
い事を祈っていた。しかし答えられるのかと、不安と恐れがどうに
もならない。御心なら必ず叶えられると、頭では思うのだが、叶え
られると信じる事ができない。信仰が持てない。平安が無い。それ
で、ある時、本心を告げた。幾ら祈っても不安と思い煩いが消えず、
信じる事ができないと、率直にありのままの気持ちを。

すると心の内が照らされ、御心のままには建前で、口先で、どうあ
っても自分の願いを遂げたい、が本心で、その一心だった。それを
示され、御前に認めて行った時に、明け渡せた。自分の思い通りで
なくともOKです、御心のままにと。その時、初めて平安が臨み、主
の最善を信じる事ができた。そこにある主の愛も信じれて、平安と
喜びが満ちた。

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いつもありのままを祈るように、心探り、導いて下さっている。
自分で何とかしようとせず、まず、信じられない、不安で仕方が
ない、思い煩ってしまうその思いを告げて行くと、平安へと変え
られて行くから不思議だ、