2024年04月01日(月)

「彼は言った。『その人にあわれみをかけてやった人です。』する とイエスは言われた。『あなたも行って同じようにしなさい。』 ルカ10:37



当時ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係にあった。そのサマリヤ人
が、傷を負い倒れていた敵ユダヤ人を助けた。サマリヤ人の動機は
「同情」であり、それ以外の何の下心も無かった。あわれみ=かわ
いそうに思う心プラス行動だ。単に感傷的な同情で終わらず、そこ
に行動が伴う。彼は、目の前で倒れ、助けを必要とする人に出来る
事をした。

関わりたくないと逃げず、「近寄って」、ぶどう酒は消毒に、オリ
ーブ油は薬として惜しげもなく使った。自分の家畜を使い、自分の
予定を急きょ変更し宿に同行。尚且つ一泊し、親身に介護の上、費
用も全額負担した。どこまでも至れり尽くせりだ。愛するとは犠牲
を払う事だ。自らの金銭、労力、時間を急きょの必要のために、彼
は惜しまずに献げた。犠牲を払わずして愛する事は出来ない。

そしてその後、彼はきちんと自分の仕事をするために出向いた。自
分の仕事をし、再び帰りにお世話をした。自分のなすべき責任を放
り投げて世話するのではない。自分の責任である家族を顧みず、人
の世話ばかりにかけずり回るのは違う。まず自分の責任を果たすべ
きで、尚且つ、助けを必要とする人に、自分に出来る事をして行く
ことだ。

御霊が導いて下さる。今、御霊の示しがあれば「近寄って」、従お
う。祭司とレビ人は関わりたくなくて、遠ざかった。自らの何かを
献げて、仕える事を、今、示されているなら従おう。それが隣人に
なるという事であり、そこに豊かな祝福が備えられている。
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かつて主が近づき、どんなに親身に関わり続けてくださっただろう
か。主が今、導かれているなら、一つ一つ具体的に祈り、主が完成
させてくださる事を信じて従おう。