2024年10月02日(水)

「御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを 尋ね求める者をお見捨てになりませんでした」詩篇 9:10



信仰人生で、時に窮地に陥る。何の手立ても無くなり、万事休すだ。
だが、どんな時も、天の門は大きく開かれている。何も「できない
が」、祈る事が「できる」。あわれみ深い主は、窮地にある者の叫
びを、受け止めて下さり、その祈りを決してないがしろにされない。
放っておかれない。祈りを、大切に受け止めて下さる。

だから目の前の問題を、思い煩わず、心配せずに、祈りに持って行
こう。ある婦人が、転居先で、仕事を探さねばならなかった。夫と
死別し、子どもを抱え、どうしても仕事が必要だった。祈りつつも、
仕事は特に選びさえしなければ、何でもあるだろうと、楽観的に思
っていた。住まいも落ち着き、職探しを始めた。

不合格が続く中、次々と応募して行った。ところが受けても〃、不
採用だった。どうにかなると思っていただけに、焦りが出て来る。
今度こそと応募するが、尚も叶わず、最初の余裕はきれいに失せて、
不安と思い煩いしか無い。もし職が無ければ、生活はどうなるのか。
恐怖となる。せっぱ詰まり、もう涙が出て、主にすがりついた。

必死に真剣に祈った。そして主に委ねて、翌日の面接に臨んだ。す
ると面接の社長が「私も、同じ境遇で育った。ここで頑張りなさい」
と、その場で採用となった。主が真剣に、主に向くよう、拠り頼む
ように取り扱って下さった。主に近づけて下さるためであった。
主を知る機会とされ、その事が嬉しく感謝があふれた。
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祈りによって主と過ごす時間は大きな慰めと力だ。主に近づこう。
必ずわかるように答えをくださる。主の愛ある応答は試練の後も
いつまでも心に残り、更に主に近づけられる。