2004年07月02日(金)

「それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた」(ルカ15:15)


 湯水のごとく財産をどんどん使い、やがてすべての財産を使い果たした。それまで、彼では無く彼の財産目当てで取り巻いていた人々はすべて去って行ってしまった。人の本性も見る事になり孤独を味わった。彼が憧れた歓楽、快楽の世界の虚しさを知り精神的にも肉体的にも飢えを経験した。しかし、すぐには父の元へ帰れない。プライド、体面、体裁が帰らせないのだ。まだ余力があり、自分の力で何とかしようと、ある人の元に身を寄せた。しかし、豚の餌すら与えられず、どん底まで行った時に、このままならここで飢え死にすると思い、ギブアップし、自分の無力を認め、父の元へ帰る事を決心した。この悲惨は自らの罪の結果であったが父は尚も憐れみ深い。
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間違っていたと気づいても、素直に帰れない。とことんまで自分の力を頼るのは、謝りたくない、頼りたくないという自我だ。神様はその自分の本当の貧しさ、乏しさに光を当て、満たしてくださる。