2004年12月01日(水)

「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます」(ヨブ42:3)

ヨブの出来事を通して、神との信頼関係という事を学ぶ。ヨブは持ち物を何もかも失い、自身の身体も腫物で苦しんだ。いわれなき突如襲って来た災難であった。実は舞台裏があり、神がヨブの信仰を認めて、サタンの攻撃を許可されたのだ。それほどヨブは見込まれていた。友人たちが来て、苦難の理由を捜し求める。原因は罪と言われ、言われるほどヨブは潔白を主張する。自らを義とする罪を犯した。神はヨブに苦難の理由は説明されなかったが、自然界に目をやらせ神の創造の偉大さ、力、栄光を見せられた。理由でなく、神ご自身を現わされた。ヨブはそれで十分であった。神を見た時、自らの状態が初めて見えた。そして悔い改めた。厳しい試練、苦悩の時に支えられるのは、「理由」でなく心からの「信頼」だ。
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なぜ、どうしてと、試練の時にはどこまでも理由を捜す。しかし、整然と理由を説明されたとして、それで苦しみを乗り越えられるのだろうか。信仰生活で一番大切なのは神との関係だ。その信頼関係を、試練の、苦しみの、見えない中で確実に育んで下さっている。