2005年01月02日(日)

「あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である」(出エジプト3:5)

履き物を脱ぐというのは、権利の譲渡との意味がある。自分の権利を譲渡する、自分を明け渡す事だ。モーセは40才の時に、自分の力で同胞を救おうとしたが、理解されず、ミデアンの地に逃れた。その荒野で羊飼いとなり羊を飼っていた40年の間に、砕きに砕かれ、自分の力に頼らなくなったモーセを神は用いられたのだ。自らの力が失せたモーセは権利を譲渡し、足の靴を脱いだ。神にすべてを明け渡した。私達も神に自分自身を明け渡すなら、そこを聖なる地として、それぞれの遣わされた場所で、用いて下さる。主婦は家庭で、学生は学校で、仕事に就いている人々は職場で、神の御手に握られ、神の栄光のために用いられる。神が用いられるのは、無力な者、自らを献げた者だ。
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今、自分がいる場所が「聖なる地」と見る時、新しい見方に立たされる。自分でいるのでなく、神から遣わされた場所だ。靴を脱いで、主に自分を明け渡す時、聖められて、今の場で、主の栄光のために用いられる。何と感謝な事だろう。今日も聖なる地に立っている。