2005年03月01日(火)

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し・・御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Tヨハネ4:10)




神の愛がなかなか理解できない。培われた価値観があり、良い子であり、良い行いをし、立派であれば愛される価値があり、受け入れられると思っている。しかし、へまをすると、もう受け入れてもらえない。うまくやっていれば良いが、失敗すると愛を失う。愛されるのは自分の行いにかかっている。髪の愛がこんな不安定なものでは断じてない。神の愛は不変だ。神の愛は私達がへまをした時も決して変わらない。変わらずに愛していて下さる。良い子であろうと、悪い子であろうとだ。愛して下さったのは「私がまだ罪人であった時」だ。私たちの状態がどうであれ、永遠に変わらない愛で愛されている。何と言う喜びだろう。主との交わりで愛は深められる。
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いかに自分が神様から愛されているか、それを少しでも多く知っていきたい。失敗だらけでもイエス様の十字架によって神様の愛を一身に受ける立場になっていることに感謝だ。注がれている御愛を知るために今日も、神様に近く歩もう。