2006年04月01日(土) 「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」(箴言27:5)
「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」(箴言27:5)
エレミヤは民に警告するよう、神から導 きを受け、実行した。すると、捕えられ、 人々から攻撃を受け、命まで危うくなっ た。しかし、恐れず、くじけず、神に従 わないなら滅びるとの警告を、尚も続け た。その時、人々は警告に耳を傾けた。 私たちが神の御心に反した方向へ進んで いる時、神は必ず「警告」を与えられる。 しかし、警告を受ける事は嬉しい事では ない。むしろ肉には、痛い、聞きたくな い、拒否したい事だ。神はあなたに、警 告の役目を与えられる時がある。相手の 間違いを指摘する事は、相手を傷つける 事であり、憎まれるかも知れない。しか し、迷いと死から、いのちへと救い出す 事だ。その時は御霊に導かれて警告しよ う。又、もし、あなたが間違っていたら、 神は人を通して警告される。それは神の 愛であり、人でなく神の声だ。誰かから 忠告が臨んでいるか。へりくだって、自 分を砕いて受け取ろう。その時、目が開 かれて神の知恵、御心を知る。 ・・・・・・・・・・ 警告が無ければ、自分を正当化し、自分 の思いを通し、自分が神になってしまう。 警告は痛いが、神の深い愛だ。人や御言 葉や環境からの警告を受け取ろう。砕か れ間違いから守られ正しい道へ導かれる。