2007年01月02日(火)


「あなたが私のそばに置かれた
この女が、あの木から取って私
にくれたので、私は食べたので
す。」創世記3:11    


アダムが罪を犯した時の言葉だ。
神の方から「あなたは、どこに
いるのか」と御声をかけて下さ
り、悔い改めの機会を与えて下
さった。それをアダムは、自分
の罪を認めず、エバに責任転嫁
をした。私達の態度だろうか。
自分がこうなったのは、環境の
せい、親のせい、相手のせい、
決して自分のした事を認めて、
責任を取る事をしない。自分の
失敗を人のせいにするだけでな
く、自分が苦しい時は人が幸せ
である事が許せない、人にも同
じ思いをさせたいとの陰険な陰
湿な思いを抱く。持って生まれ
た罪の性質だ。ある人に、どう
しても嫌な人がいて、この人さ
えいなければと憎んでいた。
その時、相手にも確かに問題が
あるが、その人を憎む事は自分
の罪であり、それは自分の問題
である事を認め、悔い改めた。
それ以後、憎しみの感情が消え
平安になってしまった。今、責任
転嫁している状況は無いか。多く
の言い訳と自己弁護があろうが、
自分の罪は罪として認める時、
溢れる喜びと平安を経験する。
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見るべきところはいつも自分自
身だ。人や環境を通して神様が
自分を変えようとしておられる。
これは恵みだ。人を責める前に
まず自分を見て行こう。