2007年10月02日(火)

「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る」ヨハネ3:20



「人々はやみを愛した」とあるよう
に、人の古い性質は、罪を憎むので
はなく、罪を愛する。したくないけ
れど、罪を犯すのではなく、そうし
たくて罪を犯している。誘惑に乗っ
て行ってしまうのは、誘惑を拒絶す
るのでなく、本当はその誘惑の中に
いたいのだ。誘惑は心地良い。そこ
から出たくない。やみを愛する罪の
性質だ。ぎまんに陥らないために、
「〜できない」のでなく「〜したく
ない」と認める事、光でなく、やみ
を愛する古い性質が、自分の内にあ
る事を認識しておくことは大切だ。
又、私達は自分は見える、わかって
いると言って、光を拒んでいる。見
えない事を認めない。しかし、光を
拒むなら、暗闇の中で見えるのは自
分だけだ。自己中心の世界の中で、
絶対に自分は正しく、間違っておら
ず、相手が悪いとしか見えない。真
理を行なうとは、自分の罪を認める
事だ。やみを愛する者であり、自分
を正当化しては、人を裁き、責める
者である事を認める。その時、その
人は光に出るので、神が見える。光
があり、神が見えるので、更に自分
の生来の姿がはっきりと見えて、悔
い改める。全き赦しを与えられ、新
しくされる。今、あなたは自分が正
しいとしか見えないか。それなら闇
の中だ。光は、正しいと思っている
あなたの真の姿を照らし出す。実は
自己中心で、自我の強い自分を。神
の前でのみ、本当の自分が見える。
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自己中心出しか生きられないで何の
クリスチャンであろう。私たちには
御霊様がおられる。聖霊様にしか善
を行うことはできな事を知っている。
人を裁き、人と比較し人に認められ
たい・・自己中の自分を認め聖霊様
に従えるように光に出て行こう。