2007年11月01日(木)

「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました」ガラテヤ2:19


ある女性の夫は、完璧主義者で、細
かく几帳面だった。日々、家の隅々
まで点検、ほこりやゴミの指摘、掃
除の仕方に文句を言う。料理など、
不満だらけだ。味付けから、料理方
法、その欠点を一つ一つ指摘する。
彼女のする何もかもが夫の気に入ら
ない。やがて、彼女は夫の顔色を見
ながら、神経質になり、常にビクビ
クし生活に喜びが全く無くなった。
そんな時、近所の男性が荷物を持っ
てくれた。彼は大変親切で、気遣い
をしてくれ、いつも助けてくれた。
彼といると心は喜びと安らぎで満ち
た。この人が夫だったら良いのに。
今の夫と離婚したいが無理だ。どう
したらいいのか。夫が死ねばよい。
死ねば契約解除になる。しかし死に
そうになどない。これがローマ7章
で言っている事だ。夫が律法で、妻
が私達だ。いつも要求されて、責め
られて、しかし実行できず苦しくて
たまらない。律法が死ぬ事などあり
得ない。律法はずっと存続する。唯
一の方法は、律法が死ぬのではなく、
妻の方が死ぬ事だ。妻が死ぬと夫か
ら解放される。死により、夫婦の契
約解除になる。これがキリストのし
て下さった事だ、私達はキリストと
共に十字架につけられて死んだ。律
法に対して死んだ。これが神が備え
て下さった、解放への解決の道だ。
----------------------------
律法から解放された立場だという事
を感情ではなく、事実としてとらえ
よう。やりたくない事を無理やりや
らされているのではない。歩みは遅
くても主の助けと共に喜びながら進
む生活へと変えられたのだ。