2008年10月02日(木)

「神は、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」Tコリント1:27



あるクリスチャンは、信仰者
は立派で強くなければならな
い、決して弱味を見せてはな
らない、いつも喜んでいて、
落ち込んだり、沈んだりして
はならないと思い込んでいた。
それが良い証しだと。それで
懸命に頑張るが、出来ない自
分を思い知らされるばかりだ
った。そんな時、ある人から
いつも強くて、立派なのがク
リスチャンなら、私は到底な
れないと言われた。強くなけ
れば証しにならないと思って
いただけに衝撃だった。弱い
まま、主を見上げ、主を喜び、
主に頼り、感謝する事こそ証
しだと主が教えて下さった。
ある人は、自らの弱さを認め、
弱いまま、喜んで主に感謝し
て生きていた。すると未信者
の反感を買った。自分たちは
しんどい中、懸命に頑張って
いる。苦しいのだ。それを弱
さをさらけ出して、あるがま
ま喜んで感謝して、生きてい
る人を見ると、妬みと腹立た
しさが、怒りとなって裁きと
なる。罪の性質だ。この世は
強くなければならない。肩肘
張っていなくてはならない。
ばかにされると、弱みなど見
せられない。しかし、主は弱
くて良いと、弱さの中にこそ
神の力が完全に現れると、弱
さを誇れと言われる。何とい
う恵みと安堵、平安だろう。
自らの弱さを認めよう。そし
て、その所にいかに神の力が
現れるかを見せて頂こう。
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自分の弱さに正直でいよう。
限界を素直に認め、神様に助
けられて喜んで生きている、
ありのままの姿を世の人に隠
さず見せて行こう。