2008年11月01日(土)

「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる」箴言16:2

私たちは自分の行ないや計画が、純粋だと思う。しかし、天に
帰るまで、まだまだ古い性質、肉の性質があるため、自分の欲望や
自分の思いが、行動や計画の中に潜んでしまう。

しかし、自分は正しい、問題無いと思っているため、御言葉にある
ように、自分の行ないがことごとく純粋だと思ってしまう。
しかし、根深い古い性質がある事をわきまえておく事は大切だ。

「主は人のたましいの値うちをはかられる」。主は、純粋だと思って
いる行ない、計画の真の動機を探って下さる。
そのように祈る必要がある。自分で自分を知ることはできない。

自分が自分の事を一番よく知っていると思うが、自分ではわからない。
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ・・私のうちに
傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いて下さい」

神が心の内側を照らし、示して下さった時に初めて、神が見ておられる
ように、自分を見ることができる。「あなたのしようとしていることを
主にゆだねよ」、動機を探って頂き、尚且つ、その計画を主に
明け渡す事だ。

つまり、明け渡す事は、主の主権を認める事であって、何か間違いが
あれば退けて下さい、前進なりストップなり、主の御心のままで
0Kですという事だ。その時、御心の計画は揺るがず、主が成し遂げ
て下さる。そしてその信仰に立てる。
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自分は何も問題無いと思う。しかし、肉の性質があり、問題
無いと思っている中に、自我や、欲望が入り込んでいる。しよう
としている事を主に委ねる事が大切だ。一旦明け渡すなら、
その時、揺るがないものとされる。