2026年09月25日(金)

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの 中にとどまります」ヨハネ15:4


時に、真面目で一生懸命なのだが、その人の心に、平安
が無い事の表われである場合がある。いつも心に安らぎ
が無い。そのためそれを満たそうと、何かに懸命になる。
仕事や趣味だったりする。一生懸命になる事によって、
心の空いた部分を満たしたい。

外側から見ると、一見、信仰に、奉仕に一生懸命のよう
に見える。しかし、実は内側が満たされていない事によ
り、そのため虚しさを埋め、満たされたいと動き回る事
になる。本人も無意識かも知れないし、うすうす気づい
ているかも知れない。しかしどれだけ動き回っても、心
の奥は満たされない。

そのあるがままを、主に祈ろう。主は手を取って、取り
扱い、導いて下さる。又、満たされていないと、自分は
一生懸命だが、実は、辛いので、何もしていない周囲を
さばく事になってしまう。もし周囲をさばく心があるな
ら、要注意だ。

自力で動き回るので、心は辛い。だから何もしていない
人に腹が立つ。接待に忙し過ぎて、心配と思い煩いで一
杯のマルタは、何もしていないマリヤをさばいた。主は
マルタを愛されていて、まず動くのではなく、主の御前
に静まるようにと。

その時、祈りとみことばにより、力が与えられ、平安の
中で、主への奉仕をお献げできる。周囲に関係なく、自
分自身は平安でおれる。そして、結果も主におゆだねで
きるので、安心の中で働ける。
------------------
主の恵みを忘れて、自分で何かを整えて行こうとすると
き、平安が無くなり気づかされる。祈り、主に繋がろう。
内から主に整えてもらおう。喜びが帰ってくる。