2025年08月27日(水)

「・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあ ずからせようとして、懲らしめるのです」へブル12:10


信仰人生には順境と逆境がある。喜びと楽しみがあり、又、苦
しみ悲しみがある。どちらか一方でなく、どちらもやって来る。人
は誰しも、苦しみは望まない。だが、主に無駄は一つもなく、私
たちに必要だから、一つ〃と送られて来る。量って与えられて
いる。順境は喜び、感謝すればよいが、しかし苦しみこそが、多
くの学びを与えてくれる。

試練の時に、本当の姿が出ると言われるが、問題に会う時
に、普段気づかない、心の底の価値観、本音が現われ出る。突
如、苦しみに会うと、落ち込み、イラ立つ。なぜ、そう感じるのか
と心を探ると、実は「問題の無い人生が良い人生」「平穏無事が
善」との思いが底にある。イラ立つのは、「思い通りになる人生が
善」との価値観だ。

又、「何で?こんな事が起きる?」とイラ立ち、戸惑う裏には、「信
仰すれば、人生スムーズに行くはず」との思いがある。その時に、
どうしても自分の思い通りにしたいとの、強烈な自我にぶつかる。
だから悶々とし、怒りがわく。自我が取り扱われ、いかに自我が
強いかを思い知らされる。

自らの姿を照らし出され、霊的成長へと導かれて行く。主は、私た
ちを聖くしたいと願っておられる。ぶどうの実に養分が届き、たわ
わな実とするため、余分な葉を剪定する。患難により、自我が砕か
れ、忍耐へ、そして練られた品性へと、成長させて行って下さる。

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誰しも、試練は受け入れ難い。苦しく、痛いからだ。頭では、試練が
人格を形造ってくれると、わかる。経験によっても、理解できる。しか
し、受け入れる事が難しい。自分の力では出来ないので、試練を受け
入れられるよう、祈ろう。助けて下さる。