2026年05月09日(土)

「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲も うかと心配したり、また、からだのことで、何を着よう かと心配したりしてはいけません」マタイ6:25



心配事があるだろうか。問題は、次々と起きて、心配
事を抱える。親子、夫婦の悩み、対人関係の苦しみ、
仕事、経済的苦境、様々な悩みで思い煩う。しかし主
は「心配するな・思い煩うな」と言われる。「何も、いっ
さい思い煩うな」と。

なぜ心配無用なのか。心配することで、何かの益にな
るのなら良いが、全く何の益も無い。思い煩ったところ
で何一つ変わらないし、何を成し遂げる事もない。「誰
が心配したからといって、自分の命を少しでも延ばす
ことができるか」の通りだ。心が真っ暗に落ち込む事で、
何かを変える事ができるのだろうか。

思い煩いは有害無益だ。又、思い煩いは、実際より物
事を大きく見せる。冷静に対処するなら、乗り越えて行
ける事態が、恐れでパニックに陥る。斥候たちが、カナ
ン視察の後、ヨシュアとカレブは大丈夫だ、占領できる、
前進しようと言った。が、民は恐れて怯えて泣き伏した。
私たちも、その心配事は、絶えず脳裏に浮かび、それ
を繰り返し〃受け入れ続けていると、不安と恐れの要
塞を築き、それを強固にし、モンスターにしてしまう。

自分がそうしてしまっている。モンスターにはとても打
ち勝てず、敗北しかない。不信仰に陥る。しかしそれは
現実ではない。空想上のモンスターであり、自らが描
く最悪のシナリオは成ったためしがない。「祈りと願い
事によって」その不安、この恐れを主に知って頂こう。
「思い煩うなと言われるが、どうにもなりません」と、あ
りのままを、主に祈ろう。引き受けて、助けて下さる。

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サタンが、次々と思い煩いを吹き込んで来る。そして
その思い煩いに対して、最悪のシナリオを見せて来
る。それを拒否し、祈りに持って行こう。主に知って
頂くことで、安堵が来る。