2025年11月17日(月) 「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。 それは大きな報いをもたらすものなのです」ヘブル10:35
「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。 それは大きな報いをもたらすものなのです」ヘブル10:35
アブラハムは、主から約束を与えられていた。それは、実子が与え られ、子孫が増し加えられ、天の星のようになると。彼は、約束を 信じていた。しかし長い年月を経ても、なかなか実現しない。当時 は、夫婦に子どもが無い場合、女奴隷に子どもを産ませ、その子を 跡継ぎにすることが、習慣であった。 それで妻サラは夫に提案した。主が、こうしておられるのだから、 女奴隷によって子どもを得ようと。アブラハムは、妻の申し出とい う事で受け入れた。そして女奴隷ハガルの所へ入った。しかし重大 な事は、この時アブラハムは、主の御心を求めて祈らなかった。自 分の思い、習慣、見えるところに流された。まさに肉で動いた。 肉は、良い考えに思えてしまう。しかし肉の行ないは、必ず悩みと 問題、混乱を引き起こす。奴隷ハガルは身ごもると高慢になり、子 のないサラを見下した。やがてハガルはイシマエルを産み、イシマ エルはアラブ人の先祖となり、今日のパレスチナ紛争に至っている。 私たちも、見た目に良いと思える肉の判断は、後々までトラブルと なってしまう。 アブラハムが100歳となり、人間的な力が、完全に絶えた時に、イ サクが天から与えられた。今、あなたの状況はどうだろう。主を信 じ、約束を待てずに肉で動くなら、イシマエルを産み出す事を覚え よう。肉の知恵と力で動かず、忍耐して主を待とう。必ず時が満ち て、主ご自身が動き、実現されるのだから。 -------------- 人の知恵や力で動くと、後々主の平和や秩序もない争いが残る。 確信と思っていても自己中心のものではないかよく祈りたい。 御心でないなら悟れるように、また待ち望めるようにも祈ろう。