2026年10月12日(月)

「むしろ、あなたがたがはこう言うべきでのす。『主の みこころなら、私たちは生きていて、このことを、また は、あのことをしよう』」ヤコブ4:15



信仰生活で、いつも「主の御心なら」という意識は大切
だ。人生のあらゆる事に、へりくだって、主を認めて行
く事は幸いだ。何かをしようとする時に、自分の意志と
主の意志はどうだろう。又、その動機はどうだろう。あ
る人が、ボランティアをしようと思った。

しかしその時「主の御心なら、このことを、または、あ
のことをしよう」との言葉があり、主のみこころはどう
なのだろうと、心探られた。単に自分が善行をしたいと
いう「自分の思い」なのか。自分のプライド、見栄なの
か。自己満足なのか。人の目を意識し、人の賞賛のため
だろうか。又、もっと別に本当にやるべき事があるのか。

何かをしようとする時に、まず祈る事は大切だ。主の御
心を求めてみよう。人には、自己実現という欲もあるの
で、良い事だとしても、神の栄光でなく、自分の欲望を
満たすためにしてしまう。自分の計画が「主の御心なら」
それをしようとの姿勢が大切だ。箴言19:21"人の心に
は多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る"
とある。

自分の計画をまずは祈りに持って行こう。そして「主の
みこころなら、私たちは生きていて」とあり、「明日〜
しよう」と言っても、明日の事はいっさいわからず、
生きているかどうかも、私たちにはわからない。主の御
前にへりくだって、主を求めて生きることの、大切さを
覚えさせられる。
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主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを・・
との姿勢でいたい。自分のプランが先立ち、そのようにと
祈りがちだが、主に尋ね、また主を求めて生きていこう。