2009年03月28日(土)

「互いに忍び合い、だれか他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい」コロサイ3:13

対人関係で、ギクシャクしたり、トラブルのあった相手があるだろう。クリスチ
ャンは赦さねばならないと思っているので、しばしば赦した「つもり」になって
いる事がある。

しかし、実際は赦してはいない。相手への恨みつらみを言葉や態度で表わさない。
だが、相手に関わる事に出会うと、感情が出て来るのだ。平静でおれず、苦々し
い感情が出て来る事によってわかる。

相手への怒りがあり、裁いている。しかし、赦すべきと思っているので、言葉や
行動には決して出さない。
それゆえ、表に出ないので、自分でも気づかない。気づかないので、まず認めな
い。赦している「つもり」があるだろうか。

しかし、何かに触発されると、苦々しい感情が出て来るだろうか。まず、赦して
いない自分とその事実をはっきり認める事だ。心の底にある怒り、恨み、憎しみを認めて、悔い改める時、解放される。自由になる。

赦していない事を認める事から解放が始まる。それを認めないなら、罪は無いの
だから、十字架は不要と言っている事になり、赦しも無い。

十字架で罪が赦されるのは罪人だけだ。赦せない心の裏をよく見ると、高慢、わ
がまま、プライド、自己中心がある。

それを認めて、悔い改めよう。そして自分自身が、まずはっきり赦しを受け取ろ
う。赦されるとは何という喜びだろう。真に自分が赦される時、必ず人を赦して
行く。無意識だが、赦していない相手がないか、御霊に探って頂こう。

人を赦して行く時、大海のような平安に満たされ、自分自身が自由にされ喜びに
溢れる。

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赦せないなら「赦せません、赦したくありません」と、正直に主の御前に告げよ
う。そこから次に進んで行く。主が取り扱い、御霊の力によって赦しが与えられ
る。ありのままを認める事から始まる。測り知れない平安が臨む。