2009年07月28日(火)

「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばやく休みなさい」マルコ6:31



ほとんどの人が携帯電話を持っている。すぐに連絡が取れ、海外でも使え、ネットも出来て、大変に便利だ。普段は重宝だ。しかし電池が切れたらどうだろう。
どれほど便利でも、うんともすんとも使い物にならない。ではその時は、どうすれば良いか。そのまま放っておいたら、いつか使い物になるのだろうか。

答えはノーで、充電が必要だ。電源につないで充電すれば良い。
エネルギー補給が必要だ。私たちの霊的生活も同様だ。あなたは今、消耗しきって、疲れ果てているだろうか。

思いは悲観的な方向をさまよい、将来の見通し立たず、弱っているだろうか。
あるいは忙し過ぎるだろうか。ハードで立ち止まる時もなく、動き詰めで、許容量オーバーで、何も考えられないかも知れない。そんな時の解決法は一つだ。

いのちの源、エネルギー源からの補給を受けること、充電する事だ。弟子たちは、ひっきりなしに主のもとに来る人々に囲まれ、食事をする暇もなかった。今なら、電話だ、訪問客だ、食事準備だ・・というところだ。

目まぐるしく疲れてしまう。主は休むよう命じられた。休むとは二つの意味があり、具体的に身体を休める事と、一人きりになって御前に静まり、主と交わることだ。
身体の回復と霊的回復、充電により、再び新たなる力が臨む。
あなたにも今必要だろうか。主は休めと命じておられる。
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霊的な充電がなされていなければ、すぐに駄目だ、出来ないと弱気になってしまう。肉体の休養のように、霊的な充電は不可欠だ。主との交わりの中で、主にある強さと平安を、今日も受け取ろう。