2001年10月28日(日)

「この終わりの時には、御子によって私たちに語られました」(ヘブル1:2)

「神が語られたので、みこころをそれ
ている事に気づきました」「神が語られ
たので、私はこの事を決心しました」
人々がこのように語るのを聞いた事
があるだろう。まるで神が語られる
ようで、ある人にとれば不可解かも
知れない。自分にはなぜ聞こえない
のかと怪しむかも知れない。しかし、
神の御声は耳で聞こえるわけでは
ない。が、私達の生活の中で色々な
方法で語られる。ある人には聖書を
読んでいる時に、はっきり語りかけ
られる。その問題に答えが与えられ
るかのように、ピッタリと御言葉が心
の耳に聞こえて来る。ある人には、
礼拝メッセージを通して祈っていた
答えを語られる。ある人には友人の
助言を通して語られる。導きを求めて
祈って待つ時、神が私達に求めてお
られる事を聞き分け、神のみこころ
を知る事が出来る。心に思いを起
こし、御言葉を思い起こさせて導い
て下さる。それは必ず御言葉と
一致する。