2010年01月28日(木)

「・・わたしの時はまだ来ていません」ヨハネ2:4



婚宴の席で、ぶどう酒が無くなった。当時の披露宴では、ぶどう酒は大きな役割を果たし、途中で無くなるなど、宴会はぶち壊しで、主催者の取り返しのつかない失態となる。

心配したマリヤが、主に「ぶどう酒がありません」と言った。主に言えば、何とかなるとの思いだったに違いない。しかし、主はマリヤの言う事によってではなく、御父の示し、御心によって動かれる。

「わたしの時はまだ」と言われたが、マリヤは「あの方が言われることを、何でもするように」と手伝い達に告げた。主が必ず最善をして下さると信じたゆえだ。我が息子だからでなく、キリストとして信頼した。

結果的に主は奇跡をされ、素晴らしい上質のぶどう酒を備えられた。信じるとは、自分で動かず、まず主にいっさいを任せることだ。「時」も主の御手の中だ。しばしば祈りの中でも、早く答えが欲しくて、早く早くと焦る。時を待てない。

待てないので、常に不安と焦り、思い煩いに襲われる。いつも欲求不満状態だ。これは委ねる事ができないところに原因がある。そのため、神の時を待てないで、自分で行動してしまう。

自分が良いと思う事を、自分の思いで、自分の時に行動する。肉で動いてしまう。そして失敗する。アブラハムが約束のイサクを待てないで、イシマエルを生み出してしまったように。信じるとは委ねること。主は、最善の時に、最善の事を必ずして下さる。主を待ち望もう。
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時を待てず、すぐに反応してしまうから無意味な傷を残してしまう事になる。神の時になれば、状況も人の心も美しく整えられる。それを信じて婚礼の席の手伝いの者達のように素直に水を汲もう。信じて待つ者だけが主の栄光を見る。