2010年02月25日(木)

「キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」Uコリント2:10


日々、対人関係の中で生きている私たちに、様々な出来事が目の前で起きる。目の前で起きる事柄に、人を裁いたり、赦したりする。人を赦すことは難しく、ほとんどの場合、裁いてしまう。赦さない事、裁く事は、サタンの策略だと言っている。

サタンは、裁くように、〃誘惑する。サタンの策略だと認識していよう。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち・・悪霊に対するもの」私たちの戦う相手はサタンだ。

目の前に人への裁きと赦しの二つの道がある。裁いたらなら悔い改め、赦しへ向きを変えよう。出来ないから祈ろう。サタンはいつも私たちに働いて、怒り、妬み、憎しみ、敵対心・・と罪に誘惑して来る。

そしてそれらの根に「比較」がある。比較から、妬み、憎しみ、競争心が生まれる。相手と比較し、自分が下だと思うと、自分の価値が下がったと思い、劣等感から妬みが生じる。自分が上だと思うと優越感から傲慢になる。

比較すると、嫉妬か傲慢のどちらかの罪に陥る。今、妬みがあるなら、その底に「比較」がある。比較を捨てること、気づけるよう祈っていよう。赦せない心、裁く心は、相手ではなく自分が辛く、苦しい。自分で牢獄に入ることになる。そのまま明け渡す時、主がして下さる。
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クリスチャンは終生、血肉、人とは戦わない。自分の敵は自分の内ある肉とそれをあおって来るサタンの誘惑だ。人の出方次第でアップダウンしそうな時は、主のみことばに立てるよう主に叫ぼう。