2010年05月28日(金)

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです」Uコリント2:15


私達は証しをし、福音を伝える。しかし、私達が伝える証しは、ある人には命に至らせ、ある人には死に至らせる。太陽は一つだが、その太陽は氷を溶かし、又、粘土を固くする。同じ太陽が全く正反対の結果をもたらす。神の言葉は、受け入れる人々には永遠のいのちを与え、拒む人々には永遠の死という、極めて厳粛な
結果をもたらす。

永遠のいのちか死かは、福音を聞いた人の出す選択であり、その人の責任だ。私達にその責任はない。しかし、パウロは神のことばに混ぜ物をせず、純正の神のことばを、真心から、神によって、神の御前で語った。私達もキリストの香りを放つ者として、用いられるなら何と幸いだろう。

「あの人といると何か心安らぐ」「彼と会うと元気がもらえる」「彼女には悪口と噂話が無い」「彼女の口からゴシップを聞いた事がない」「彼といると沈んだ心に励ましを受け、前向きになれる」・・福音を届けた相手の選択に責任はないが、自らの言葉と行動には責任がある。

家庭で、学校で、職場で、日々どんな匂いを放っているだろう。又、兄弟姉妹の中で「あの人と交わると、何かしら霊的に引き上げられる、恵まれる」「いつも神様のもとに戻される。安らぐ」そんな香りを放てるなら、どんなに幸いだろう。主に自分を明け渡して、通り良き管と用いて頂こう。
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肉に反応せず、御霊に示された事に反応して行きたい。励ましや慰め、また感謝を素直に言葉に出して行きたい。主にあって喜んでいる、その香りを素直に放てる者に変えられたい。