2010年06月27日(日)

「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」ヘブル3:15

イスラエルの民は、多くの奇跡を目の当たりに見て、神の言葉を聞いていたに関
わらず、心が頑なであった。出エジプトという、前にも後にもないほどの偉大な
奇跡を見たのに、荒野に出た途端、食べ物が無いと愚痴を言い、つぶやいた。

愛なる神が、必要を必ず備えて下さる事を信じない。民を愛して、顧みて、神が
マナを天から降らせ、水を湧き出させても、次々とどれだけ奇跡を見ても、カナ
ン偵察の斥候達の言う事に怯え、エジプトに帰ろうなどと、神を信じる事が無か
った。

いつも疑い、不満だけで、最後まで神を信頼しようとしない。子供の頃に、親か
ら小言を言われる時、余りにもしょっ中なので「耳にたこ」とばかりに、聞き流
した経験がないか。

右から左に通り抜けるだけだ。何の反省も無く、ましてや言葉も真剣に受け止め
ない。これが心を頑なにする事だ。こうなると、物理的に耳には聞こえていても、
決して心には入らない。これが繰り返し重なると、恐い事に、ますます心が固く
なる。

すると、神に対する不信仰が強固になって行く。心が石のようになると、悔い改
められなくなってしまう。民が安息に入れなかったのは不信仰のゆえだ。神の愛
と慈しみのこもった御声に、私たちを愛をもって導く御声に一心に耳を傾けよう。

自分に不都合であろうと、耳が痛かろうと、神からの語りかけに応答しよう。そ
れこそが、聖霊が私たちに与えて下さっている新しい心であり、それを選択して
行く時、新たに神を知り、変えられ、成長して行ける。

・・・・・・・・・・・・・・・・
しばしば都合の良い言葉だけ受け入れ、都合の悪い御言葉は無視する。しかし痛
い言葉こそが、自分に必要であり、大きな祝福をもたらす御言葉だ。耳を傾けて
行く時、主が取り扱って下さり、自分が自由にされて行く。御声に一歩従おう。