2010年10月28日(木)

「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」ヘブル6:1


「乳ばかり飲んでいる者は幼子」であり、乳とは「神のことばの初歩」だとある。幼子は固い食物を消化できないので、乳を飲む。生まれたばかりで、乳を飲むことは当然で正常だ。生まれてすぐに固い物を食べるなら、消化不良を起こし、胃腸を傷めて、むしろ害になる。

しかし、いつまでも大人になっても乳だけを飲んでいるなら異常事態だ。柔らかい乳のような言葉だけを求めるのが、霊的幼子だ。聞きたいのは神の愛だけで、義の教えや試練は聞きたくない。神に愛されている、それがすべてだ。しかし、神は厳しい訓練、鍛錬、砕き、聖化を備えておられる。

又、幼子は自己中心だ。自分中心に世界が回っている。自分の思い通りにならなければ泣きわめく。自分を通す。乳児は固い食物が食べられないように、従いたくない言葉は吐き出す。自分が受け入れられ、認められ、愛されたいばかりで、自分を捨てる事や、神の栄光など思いが至らない。何が神の御心で、神に喜ばれ
るのかがわからない。

幼児性は無いだろうか。すべての人が大人へと成長する事が神の御心だ。自分の都合に御言葉を合わせるのではなく、御言葉に自分を合わせ、自分を従わせて行くことだ。自分を砕いて御言葉に従う時、自分が変えられて行く。必ず一歩一歩成長して行く。
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従おうとする時の肉との葛藤や砕きを避けて、いつも喉越しの良い乳のようなみ言葉だけを食べていては、経験により良い物と悪い物を見分ける大人への成長はない。初歩の信仰から成熟した大人の信仰へ進みたい。