2010年11月27日(土)

「あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです」ヨハネ13:17


この地上の信仰生活で、祝福された人生を送るかどうかのキイは、「行ない」
にある。岩の上に家を建てるとは、御言葉を聞くだけでなく、聞いた御言葉を
「実行する」事であった。

いかに御言葉を生きるかという事であるが、しかし、私たちは幾ら頑張っても、
御言葉を実行する力は無い。あなたも経験しただろうか。パウロが「私は、自分
でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっている」と
告白している。

「善をしたいという願いがあるのに、それを実行することがない」と。御言葉は
「聖なるものであり、正しく、良いもの」だ。御言葉は「霊的なもの」、しかし、
「私は罪ある人間であり」肉だ。だから、肉で霊をどうにも出来ない。

自分には行なう力は無いし「自分の肉の内に善は住んでいない」。では、どうす
れば良いのか。「私は、ほんとうにみじめな人間です」とパウロが叫んだように、
自分には不可能、自分は完全無力であることを認めることだ。

そして、自分には出来ないのだから、神に拠り頼んで行く。自分を明け渡して、
頼んで行く時に、肉でなく、御霊が働いて成し遂げて下さる。御言葉は霊である
から、霊である御霊がされるなら可能だ。実行させて下さる。

御霊に従って歩む時、実行することができる。今、無力を感じているだろうか。
それなら大きな祝福の門口だ。主に拠り頼もう。みわざを見る。

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いつも、「できません。助けて下さい」と自分の無力を認めた時に、主からの力
が臨む。「できません」と認める時に、不思議だが出来て行く。そして自分を誇
ることなく、主に栄光を帰する。「私を強くして下さる方によって、どんなこと
でもできるのです」