2010年12月28日(火)

「ここを去って東に向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ」1列王17:2


エリヤがアハブに雨が降らない事を宣言した後、神はケリテ川に行き、身を隠せと命じられた。アハブから守るためであり、神によって養われるためだ。カラスを遣わし食べ物を運ばせると。カラスに自分の命の糧がかかっているなど、何と心もとない不安な事だろう。カラスが食べ物を運ぶなどと普通は考えられない。

その次は、やもめ女を通して養うと。どんなに裕福な女性かと思うと、最後の粉で食事をして、今から死のうとしていると。貧しさの極みで、死にかけている人物であった。カラスに貧しいやもめ女、これらを通して、エリヤは自分の無力を思い知らされた事だろう。

カラスや、やもめ女に頼るのでなく、神の御言葉に、神の約束に頼る、神を信じることの訓練であった。「烏にそこであなたを養うように命じた」「やもめに命じて、あなたを養うようにしている」この約束の言葉を信じ、御言葉に立ったエリヤは、そこで御言葉の通りに養いを受けた。

烏を通して、やもめを通して、実際は神からの養いであった。信仰に立ったエリヤは、やもめ女に「恐れてはいけません・・主がこう仰せられる」と言えた。やもめ女も子供も飢饉のまっただ中で養われた。目に見える所が、どんなに心もとない状況であろうと、約束の言葉に立つ時、信じて行く時、神の約束の成就を
見る。
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神様の言葉と目の前の状況はいつも大きく違って見える。しかし神様の計画が成る。私達は疑わず目の前に現実を自分で判断せずただ神様の御約束を握って進んで行くだけだ。