2011年01月28日(金)

「これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」Uコリント2:10 

      
「私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、キリストの御前で赦した」とパウロも言っている。人を赦さない心は、サタンに足場を与えてしまう。自らの心を「怒り」「プライド」「憎しみ」「敵対心」「嫉妬」「高慢」へと開く事になり、心にそれらを招き入れてしまう。サタンに足場を作らせる。

心に足場があるから、サタンは自在にあおって来て、増幅させて来る。人を赦さない心は、サタンが動き回る場所を作り、機会を与える事になる。又、赦さない心は、自分で牢獄に入り、自分を閉じこめる事になる。四六時中、心は苦しく、がんじがらめで、解き放たれる事がない。それだけでなく、憎しみは必ず強くな
り増大して行く。

心はどんどん頑なになる。その事で一杯で、常にその事を考えているから、更に思いは強固にされて行く。自分がそうしている。屈折し、歪んだ性格を作り、否定的な人生にしてしまう。赦さない心は、あなたの人格も人生も破壊させる。そうしたいだろうか。

赦す事を拒むなら、自らと神の関係も拒む事になる。神にまず、心をありのまま率直に打ち明けよう。そこから始まる。赦したくない心を祈りに持って行こう。人には出来ない事が、神には出来る。「赦せませんが感謝します。神様が赦せるようにして下さるからです」と祈った人が赦せるようになった。祈りは必ず答え
られる。
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嫌な思い出、傷ついた過去の言葉などが自在にサタンに吹き込まれて来る。赦せないとの思いが来る時、それを押さえつけずその都度、神様に明け渡して行こう。一日中怒りと恨みで平安を乱されたまま過ごすなら、それはサタンを喜ばすだけだ。