2011年06月27日(月)

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」ルカ10:42    



          
マルタは、主のために忙しく立ち働き、料理の準備をした。マリヤは、主の足もとに座り、御言葉に聞き入っていた。マルタは余りの多忙に疲れて来て、不平不満愚痴が募る。そして、いら立ち、主に、妹に手伝うよう言うようにと指図をする。ここで問題なのは、自分が良いと思う事を、主のためにするのか、主が言われている事に従うのか、という事だ。

マルタは主の喜ばれる事でなく、主が喜ばれるであろうと、「自分が」思う事をした。自分の思いであった。マリヤはただ主の御心に従った。この違いだった。
「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」自分の思いで、いけにえを献げる事は、主の御心からはずれてしまう。この時、主は、まず主の語る言葉に耳を傾ける事を望まれた。

マルタもまず座って、御言葉を聞いて、立ち働くなら、周囲に関係無く、自分は
平安の中で感謝しつつ、主のために働けたであろう。私達はどうだろう。主のために、自分がして差し上げたいと思う事をどんどんしつつ、不平不満で一杯で、疲れ果てていないか。自分の思いと力でしている時は、必ず、していない人に腹を立て、裁く。そうであれば本末転倒であり、何をしているのかわからなくなる。マリヤのように、主が望んでおられる、主のお心に沿う事をして行けるように祈ろう。
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忙しく立ち動いているのに心は、ますます平安がなくなってパニックになる。そんな失敗をよくする。今、一番大切なことは何かを主に尋ねながら事にあたろう。いつも平安で明け渡した歩みへと導かれる。