2011年08月28日(日)

「きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐したのをやめさせたあなた に、誉れがあるように」Tサムエル25:33 



信仰生活で、人に中傷され、理不尽な扱いを受ける時、怒りが湧き上がる。そん
な時どうすれば良いのか。自分で報復せずに、神の怒りに任せるのが最善だ。怒
りは罪ではないが、罪が誘発されやすい。「怒っても、罪を犯してはならない、
日が暮れるまで憤ったままでいてはならない」。

悪に対する正しい怒りがあるが、自我からの怒りは罪だ。ダビデは、ナバルが自
分を罵った事を耳にした時に、即、報復の行動を取る。しかし、ナバルの妻アビ
ガイルの機転、賢明な忠告により、自分で復讐して神の前に罪を犯す事を思いと
どまった。

怒りには、底に憎しみが潜み、周囲に害毒を流す。ナバルがダビデを罵った事は
神の許しのもとで起きた。ダビデが神視点に立ち、そこを見ていたなら、軽率な
行動に走る事は無かった。祈って、神に導かれて対応できたであろう。しかし、
この事で彼は学んだ。後にシムイに呪われた時、冷静に対処できた。

報復しようとする部下に「・・放っておけ。彼に呪わせよ。主が彼に命じられたの
だから」と言えた。愚かなナバルは神に打たれて死んだ。復讐は神がされる。
「復讐はわたしのする事である。わたしが報いる」と言われる。神の怒りに任せ
るべきだ。
更に、善をもって悪に打ち勝て、と言われる。侮辱をもって侮辱に報いず祝福を
与えよと。自分では不可能だ。しかし、主を仰ぎ、御霊の導きに一歩一歩従って
行く時、そのような者にされて行く。従うなら、変えられて行く。

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自我に触れる怒りは、罪へと誘発されやすい。カッとなり、正しい判断が吹っ飛
んで、肉の言動、肉の行動へと走ってしまい、気づかない。冷静になって、後悔
することになる。まず、祈ろう。主にことごとく告げよう。そうするなら、御霊
がなすべき事も導いて下さる。