2011年12月26日(月)

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らい となさいました」創世記50:20



ヨセフは兄達の妬みと憎しみにより、エジプトへ売り飛ばされた。ダビデはサウ
ルに妬まれ命をつけ狙われ、何度か殺されかけた。主イエスも祭司長やパリサイ
人達に妬まれ、十字架へと追いやられた。それらは明確な悪意であった。私達も
それぞれの境遇で、人の妬みを受ける事がある。嫉妬ゆえのいじめや、攻撃を受
ける事もある。人の悪意により苦しい状況に陥る。

「何でこんな事が・・」と、自分は悪くないのに、理不尽な苦しみを受ける事が
ある。窮地に立たされ悩み苦しむ。しかし、信仰の目は、状況でなく、そこにま
ず神を見る。神によって事態を見る。「主にあって無駄な事は何一つ無い」「神
は最善をされる」「万事益」「極みまで愛されている」そこに堅く立ち、神を信
じて行く。肉の目には、最善などと見えない。人の悪意が見えて、目の前は真っ
暗だ。しかし、全能の主は、別の道を開いて下さる。人の悪意すら、益と変え、
最善をされる。

ある人は、隣人に、言われ無き誹謗、中傷を受け、悩まされた。非常なる苦しみ
を通り、神に委ねつつ忍耐した。その試練の後、自分が大きく変えられた事に気
づいた。人が過度に気になって仕方無かった者が、その試練を通り、人が気にな
らなくなった。神のみわざに心から感謝した。神は人の悪意すら、あなたへの限
りない祝福のために用いられる。「何でこんな事が・・」の時こそ、神を信じて
いよう。みわざを見る。
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理不尽な人間関係の中では、相手の存在だけを大きく見てしまいがちだ。相手
に呼応し自分を見失わないよう神様だけを見ていよう。すべての問題の中に神
様の恵みが隠れている。苦しみは必ず恵みへと変えられる事を信じていよう。