2012年02月26日(日)

「『水がめに水を満たしなさい』彼らは水がめを縁までいっぱいにした」ヨハネ 2:7


結婚式の披露宴で、ぶどう酒が切れてしまった。当時の披露宴におけるぶどう酒
は重要なもので、途中で無くなる失態など、あってはならないもので、結婚式が
ぶち壊しであった。気づいたマリヤは、その事を主に告げた。「ぶどう酒があり
ません」。

マリヤは慌てて、立ち騒ぎ、動き回ったのでは無かった。ぶどう酒を買いに行っ
たのでもなく、周囲に相談したのでもなく、その困窮を、事態を率直にそのまま
主に告げた。又、その時、マリヤはどうこうして欲しいと言ったわけでなく、た
だ事実を告げただけだった。

主を絶対的に信頼していたので告げるだけで十分であった。私たちも「○○があ
りません」窮状をそのまま、まず主に告げよう。主は手伝いの者たちに、水がめ
に水を満たすように命じられた。

ぶどう酒が必要なのであって、水ではない。80〜120リットルの大きな水瓶、そ
れも6つに一杯にするようにと。大変な作業だ。この忙しい最中に、水など、な
ぜそんな事をしなければならないのか。しかし、手伝いの者たちは、理由もわか
らないが、言われた通りに従った。

すると、その水はぶどう酒に変えられた。従った者たちは、驚いた事だろう。世
話役は、主の奇跡により用意されたぶどう酒を味わったが、どこから来たかは知
らなかった。
私たちが主のみわざを、奇跡を見るのは、御言葉に従った時だ。御声を聞いて、
聞くだけでなく、従った時に、主の素晴らしい栄光を拝する。「従う」ことに目
を留め、今、わからずとも、示されている事に一歩踏み出して、従おう。

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振り返る時に、よくわからないながらも、主の示しに従った時に、素晴らしいみ
わざを見て来た。聞いて、そのままにするのでなく、御言葉を実行した時に、事
態が前に進んで行った。目の前の、御霊の示しに従おう。祝福にあずかる。