2012年04月27日(金)

「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ」エレミヤ29:7


エレミヤの時代、イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされ、捕虜として連行された。しかし、そのアッシリヤは、バビロンによって滅ぼされた。バビロンはどんどん侵攻し、国々は滅ぼされ、とうとうユダ王国も、バビロンに捕囚の身となった。当時のユダは神から離れ、民は偶像礼拝に走り、堕落していた。預言者たちは、耳ざわりの良い、心地良い言葉だけを語り、平安が無いのに「平安、平安」と言っていた。

しかし、神の人であるエレミヤは真っ直ぐに語った。そのため苦しめられた。バビロン捕囚の最中、真っ暗な中で、エレミヤは神の言葉を語った。その捕囚は、一見「災い」としか見えないが、決して災いではなく「平安・将来・希望」のためのものだと。すぐに解放にはならないので、その地で落ち着いて、腰を据えて生活せよと、そして、敵であるその町の繁栄を祈れと。それは自分達の繁栄になると。

私たちも苦悩の時、一番欲しい言葉は今すぐ問題解決、苦しみ悩みから解放されるというものだ。しかし、口先だけの励ましは、更に傷を深くする。全く思い通りでない、かせのような現状を受け入れる時、その中で神からの支え、励ましにより生きて行けるという事だ。現実をしっかり受け入れる事が大切だ。いつまでもそのままではなく、「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせる」。現状を受け入れて、その中で神に従って行こう。そこに「平安」が約束されている。そして神の時に、そこから出して下さる。
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苦しみの時を長く通される事がある。よく祈らず御言葉にも触れる事なくいると、人間的な心地よい言葉に惑わされてしまう。そこでも繁栄を祈れと言われる。主だけが解放を与えて下さる方だ。主を見上げ主だけに平安を求めよう。