2012年07月28日(土)

「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の 実を結ぶ人たちです」マルコ13:19



ある種は、道ばたに落ちたが、道ばたの心は、踏み固められて、固くなった心だ。
赦せない心や、恨みで固まった心、激しい憎しみや、強い怒り・・そのような心は、
カチカチに固まり、御言葉が入らない。主に対して心を閉ざしてしまっている。

種は御言葉だ。御言葉が心に入らない限り、事は始まらず、変えられて行くこと
がない。私たちに頑なな心の状態はないだろうか。主に取り扱っていただこう。
自分ではどうにもできないから固まっているのであり、まず祈りに持って行こう。
主が事を始めて下さる。

別の種は、土の薄い岩地に落ちた。種が地中に根差そうとすると、岩にぶつかっ
て根差せない。心に岩となって巣くう自己中心、プライド、体面、自我が妨害し
て、心の深くに御言葉が根差せない。心の奧では神を愛しているのでなく、自分
が一番だ。この岩が砕かれないと御言葉が根づけない。

又、別の種がいばらの中に落ちた。芽が出たが、周りからいばらが伸びてふさい
でしまった。御言葉に心を閉ざしているわけでなく、御言葉を聞きはするが、
「この世の心遣いと富の惑わし」が、せっかくの御言葉をふさいでしまう。

主に従おうとするのだが、この世にも心が惹かれ、欲望を満足させたくて、肉的
なものも同時に求めてしまう。そうすると御言葉が塞がれてしまう。御言葉を聞
き、受け入れ、従って行く時に、必ず実を結ぶ。主は実を結ばせたいと願ってお
られる。何かの妨げがあれば、御霊に示され、従い、一歩一歩導かれて行こう。

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「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」この実を、又、証し
の実を結ばせるために、救って下さった。嬉しいことで、いつも希望がある。種
が芽吹き生長する。私たちも、何か成長をふさいでいるものは無いか、心探って
頂こう。