2012年09月27日(木)

「主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げ・・」詩篇37:34


私たちの信仰生活の中で、難しい事の一つが、「待つ」ことだと言われる。世の中ではスピードが求められる。今、すぐに欲しい。すぐに手に入れたい。すぐに知りたい。待てない。すぐに出て来るファーストフード、自販機でお金を入れると、すぐにジュースが出る。24時間営業のコンビニがあり、いつでも、即、欲しい物が手に入る。各自が携帯を持ち、リアルタイムでメールが行き交い、便利な時代だ。欲しいものが、すぐに持てるので、「待つ」ことは非常に難しい。

信仰生活においても、すぐに目に見える結果が欲しい。すぐに導きが知りたいし、すぐに祈りの答えが欲しい。祈りの答えが少し長引くと、もう信じる事ができない。思い煩いに陥り、不安と恐れにさいなまれる。目に見えないものを信じる事が難しい。主は少しづつ学習させて下さる。目に見えないものを信じて行く練習をさせて下さる。

なかなか答えが来ない祈りに対して、焦らずに、「待つ」練習をする事が必要だ。じっと待つ中で、主に思いが集中されて行く。焦点が主に向けられて行く。忍耐が培われる。待つことなしに忍耐はあり得ない。今、先が見えず、祈りの答えが見えないなら、じっと待とう。主を待ち望もう。自分で動き回らず、ただひたすら主を待とう。そうするなら必ず、主が動かれ、導きを与えて下さる。
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待てない自分の中に、どうしても欲しい答えがあったり、不信仰な自我があらわにされる。待たされる時も主の導きの中だ。主を待ち望もう。主の導きだけに従えるよう整えて下さる。