2012年12月28日(金)

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」ヘブル4:15


主は、同情し、あわれみ、思いやって下さる方だ。私たちが苦しい時、悲しい時、辛い時、黙って寄り添い、そのままの気持を受け止めて下さる。何と有難いことだろう。悩みの問題点を的確に把握し、バシッ!と解答を示す、そういう事ではなく黙って気持ちに寄り添って下さる。

ある人の経験だ。教会学校の一人の子供が、大変乱暴だった。わざと、皆をかき乱す事をする。関心を持って欲しいのはわかるが、度を過ぎる態度に、奉仕者は困り果てた。その事について祈っていた時に、家庭を訪ねてみる事を思いついた。祈って、その子供の家庭訪問をすると、母親と話ができ良い時を持てた。

その子供の不幸な成育歴、悲惨な現実に愕然とし、むしろその程度でおさまっている事が、不思議に思えた。奉仕者の気持ちが変わってしまった。その子への同情、愛情を感じ、見る目も変わった。すると、その子が段々目に見えて変わり、落ち着いて行った。

事情を知り、理解する事は、受け止めて行くことの助けとなる。
自分がもしその立場なら、自分なら耐えられないだろうと思う。
その時、偏見や独断から守られ、受け入れようとする心が芽生える。そして主は私たち自身の成育歴、境遇の何もかもをご存じで、理解し、愛し、受け止めていて下さる。
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失敗や弱さを実感する度に落ち込み自分を裁くが、主はまずその心に寄り添って下さる。なんと慰められることだろう。安易に人を裁く思いが来る時、主がかけて下さった憐れみを数えてみよう。